きょうだい児の考える事

きょうだい児の色々を書いていきます。

生き辛い生き方で生きていく

 

僕がたまに言われる言葉であり、自分でも自分によく問いかける言葉に

 

「もっと楽に生きればいいのに」

「そんな生き方してて辛くないの?」

「生きてて楽しいの?」

 

などがあります。

 

この質問に対しての僕なりの答えを書きます。

 

現時点での答えなので、来週には変わってると思いますが

それでもいいと思います。 正解のない問いかけに対する答えは変わり続けることも大切だと思います。

 

僕の思う答え

長くなるのでコンパクトにまとめると

 

答え 好き好んで生き辛く生きている訳じゃなくて

   生き辛い生き方しか出来ないんだと思う。

 

答えを補足していきます。

 

基本的に家族から愛されていて、自分も家族を愛しているという環境で育たないと

 

生きることへの罪の意識

戻れない過去への憧れ

現在の自分とは違う自分への憧れ

自己肯定感の低さ&自己憐憫

 

とかが普通の家庭で育った人より極端になるんじゃないかと思います。

 

それが人生を自分で生き辛くしている主な原因じゃないかと思うのが僕の答えです。

 

ただ、これは第三者から見て分かるものであって

自分では気づかない考え方だと思います。

 

日本で育った人がアメリカの常識で発想出来ないように

 

自分の中にない発想で人生を生きていくことは出来ないと思います。

 

これが生き辛そうに生きていると言われてしまう原因

 

どう対処すればいいのか

生き辛い生き方を変えるにはどうすればいいのか

 

①考え方を変える

それまでの自分の人生の大部分を否定して

考え方を矯正していく

 

自分の家族に問題があったなら

初めから家族は居なかったものとして考える癖をつける

 

架空の人物を自分の家族として置き換えることも出来る

 

嫌な記憶を思い出さないようにすることも有効だと思います。

 

人間の記憶ってかなり曖昧なものなので、自分が本気でそうだと思ったら

偽の記憶でも簡単に置き換わっていくものです。

 

②世間の幸せを疑う

僕はこっちですけど

 

そもそも世間一般の人から見て生き辛そうっていうのは

 

考え方が卑屈、恋人作らない、結婚しないとかが大半だと思います。

 

でも、それがどないしてんって思うこと

 

考え方が卑屈でも、恋人作らなくて結婚して子供いなくても

それで誰かに迷惑をかけるわけではありません。

 

卑屈すぎて誰かを攻撃するとかなら問題ですけど

 

誰かに迷惑をかけている訳じゃないのに

何故か罪の意識を感じてしまって自分を責めてしまうというのは

あるあるなんじゃないかと思います。

 

最近読んだ本に、ラッセルの幸福論という本がありまして

その中の罪の意識という章が、わりと答えになっていたのでオススメです。

 

要約すると

 

人は本当は悪くないことであっても

世間や家庭で与えられた価値観によって

罪の意識を感じ、劣等感を抱いてしまう

特に小さい頃に受けた影響は大きい という内容です。

 

例えばきょうだい児で、小さい頃にきょうだいに障害があることが嫌だと思って

親にそれを言ったらメチャクチャ怒られた などが当てはまります。

 

こんな経験がある人だと、きょうだいの障害について否定的に考えること自体に

罪の意識を感じて、自分への劣等感に繋がっていくという内容です。

 

世間の幸せ、誰かから与えられた価値観で生きていくことは簡単です。

自分で何も考えず、それに当てはめて生きていけばいいんですから

 

友達沢山作って、恋人作って、結婚して子供がいて、金持ちになる様子をインスタにでもあげれば

誰もが幸せだと言ってくれるはずです。

 

僕は上に書いたような人達を否定しているわけではなくて

考えた答えが世間一般と同じだったら

上記のようになれるよう、努力すればいいと思います

 

でも、僕はそうじゃなくて

 

自分は何をしている時が幸せなんだろう?

自分は何をして生きていきたいんだろう?

 

こういうことを常に問いかけ続けて

その答えが世間一般と違っても、素直にその幸せを追求していくことが

死ぬときに後悔しない生き方なんじゃないかと思います。

 

 

だから、世間のいう幸せが本当に自分にとっての幸せかどうかを疑い続けながら

生き辛い生き方でも、なんとか生きていきこうと思います。

 

 

 

凹んだ時に支えてくれる人はやっぱり欲しい

僕はおそらく結婚はしないと思うし、恋愛も傷つくのが嫌で

よっぽど理想の相手が現れない限りしない思っているけれど

 

それでも、凹んだ時に支えてくれる存在はやっぱり欲しいな、と思う

 

家族や友達には辛いということも出来ない

辛いんでしょ?と言われても気まずくなるだけだからこっちが困る

 

メンタルが文字通り死ぬほど落ち込んでしまう時に

それを癒してくれる存在が欲しい

 

今まで約25年生きてきて、そんな存在は一人も現れなかった。

 

自分にとって、きょうだい児の悩み苦しみを癒してくれる存在は

きっとどこかにいるけど、今ここにはいない という存在だった。

 

その存在が世界のどこかにいると思い込むことで

なんとか辛い日も仕方なく生きてきたと思う。

 

架空の存在に救いを求めているという点では

キリスト教とかの一神教の信者と大差ないと思う。

 

 

僕は求める理想が以上に高いと言われる

それは恋人だけじゃなくて、自分に対してもそうで

 

もっと見た目がよくなりたい

もっと頭が良くなりたい とずっと思ってる。

 

でも、自分に対する理想が高すぎるせいで

頻繁に絶望するし死にたくもなる

 

だけど、それでも理想を下げることが出来ない

自分が苦しむだけだと分かっていても

 

理想を少しでも下げれば、周りに馬鹿にされるんじゃないかとビクビクしている

 

多分この感情の根源は、小さい頃に自分がきょうだい児であると自覚して

自分は普通の人よりもちゃんとしていないといけない

きょうだいのためにも自分がしっかりしないといけないって強迫観念のように思い続けていたからだと思う。

 

だから理想を下げるよりも、自分が傷つく方を悩まずに選択できる

 

基本的に自分を最優先で守ろうと言う発想がない

 

自分にそんな価値はないと思うし

自分が死んでも何も変わらない、ただ葬儀などの面倒が増えるだけ という認識

 

でも、心のどこかでは自分を理解してほしいし

自分を本当に愛してくれて、今までの全ての傷や痛みを癒してくれる存在がやっぱり欲しい

自分が生きていていいと思わせてほしい

自分の大切な人に自分が必要だと思われたい

生きていてくれるだけで幸せとか言われたい

 

これが逃げ、現実逃避だと分かっているけど

やっぱりそんな理想の救世主のような人が居てくれれば

生きるのが辛くはなくなると思う。

 

楽しくなくても辛くなければ、わりと生きていけると思う。

 

本当に理想の存在が居てくれれば

抱きしめられるだけで疲れが癒されたり、悩みが浄化されていくような気持ちになれるのかなぁ

 

もういっそのこと、宗教に頼った方が楽なんじゃないかとも思うけれど

 

ひねくれているから宗教というだけでちょっと敬遠してしまう

もちろん、宗教を信じることは個人の自由だからいいんだけど

 

基本的に生き方が斜に構えているので

盲目的に何かを信じるという事が出来ない

 

だからどっかの信者になっても教えを疑いまくってしまうから

どっちみち僕は絶対救われないと思う(笑)

どんな自分にも自信が持てない

自分に自信が持てなくて、精神的に不安定になることがたまにある

昔よりは少なくなってきたけど、それでもしっかりある

 

自分の存在を肯定出来ない気持ちが強くなりすぎる時

 

基本的に自分の存在に自信がないのは、常に頭のどこかにあるけれど

普段は意識していない。

 

自分が日本人とか、自分が男っていうことは知っているけれど

起きている間中そのことを考えている訳ではないのと同じような事だと思う。

でも、聞かれたらすぐに答えられるから

常識として自分の中にそういう考えがあるような感じ

 

もちろん、どんなに悩みがなさそうな人でも多かれ少なかれ

そういう気分の時はあって当然だと思う。

 

問題は頻度が普通の人よりかなり多いことと、落ち込む感情の深さだと思う。

 

ここ二週間くらいはそんな不安定な精神状態が続いていて

生きるのがとても不安で、とにかく怖い

 

別に現実で何か大きな出来事があったわけじゃないし

これから先に嫌な出来事が待っているわけでもない

 

それなのに生きるのがとても怖くなる

原因がわからないから、対処することも出来ない

 

ただただ時間が過ぎ去って、怖くなくなるのを待つしかない

でもはたから見たら怠けているだけだし、バリバリ仕事をしない言い訳にはならない

 

精神科に行って相談してみたことも何度かあるけれど

結局、僕は人に相談しても解決しないと根本で思っているから

医者相手でも上手く本音で話すことが出来なくて、睡眠薬だけもらって終わりになってしまう

 

夜寝る前は、体が勝手に眠りに落ちてくれるまで何かしていないと落ち着かない

寝る体勢になってしまうと思考が止められなくなってしまうから

 

今よく考えているのは

何もしなくても生きられるけど、何かすごいことを成し遂げないといけないような

でもそんなことをやる気力も能力も自分にないことが分かっているから

余計に死にたくなって、勝手に眠りに落ちるまで自分を責め続けてるような

色んな感情が混ざりすぎて難しいけど

 

要するに自分の存在に自信が持てない

ということがすべての感情の源だと思う。

 

普通の人はいちいち自分の存在に疑問なんか抱かないのかもしれないけど

それがとても羨ましい、人目を気にせず自分を貫ける人が羨ましい(人に迷惑をかけない範囲で)

 

太宰治人間失格とかヴィヨンの妻に出てくる男みたいに

生きるのが怖いって女性に正直に言って、ヘタレまくって女性に養ってもらうような生き方も良いのかなと一瞬思う。

 

当人同士が良ければ他人が夫婦に口出しすることでもないと思うし

 

でも僕だったら女性に悪い気がするからそれすら出来なくて

引きこもって孤独死という選択をすると思う(笑)

 

こんな感じで落ち込むのも慣れているから

来週ぐらいには治っていると思うんだけど、なっている間はいつまで続くか不安になるのも嫌ですね

 

近況

 

お久しぶりです。

一学期のテスト勉強始めた頃から更新をしていなかったので

気付けば3か月以上経っていました。

 

テストは無事に追試などもなくクリアすることが出来て

そのまま夏休みに入ってのんびりしていました。

 

JICAに行ってみたいかなと思ったと前の記事で書きましたが

それもあって夏休み後半には初めて一人で海外旅行に行ってみたりして

日常では味わえない、とても刺激的な体験でした。

 

幸い学生の間は長期休みもあるので

バックパッカーになって海外放浪してみたいな~なんて思ってます

それだけ日常を忘れられて楽しかった。

 

最近は学校で新しく仲良くなった人がとても素晴らしい人で

福祉や医療に携わるのはこういう人であるべきだ、と強く思えていて

個人的に学校の人間の中でも関わりたい人がいるので、とてもありがたいです。

 

進路についても色々考えているのですが

まだ自分の専門分野は決め切れていないので

何かのスペシャリストになれるように全ての分野で勉強したり体験したりしていきたいなと思っています。

 

全部をやってみたら、その中でも自分が好きなものとか

関わってみたい分野が見えてくるものかなと思います。

見えてこなかったら、全分野出来る人になるからいいやって思います(笑)