きょうだい児の考える事

きょうだい児の色々を書いていきます。

たまにふらっと死にたくなる

 

基本的に楽観的な思考でいようと気を付けているのですが

やっぱりたまに精神的にひどく落ち込むこともあって

死にたくなったりもします。

 

今がちょうどそんな気分で

誰かに何をされたわけでもない

嫌なことがあったわけでもない

だけど、なんとなくふと死にたくなる。

 

これは、きょうだい児として生きてきた人特有の症状ではなくて

多分、僕が精神的に弱く、脆いのが原因だと思う。

僕は多分物凄く幸運できょうだい児だけど、いじめられたこともないし

直接ひどいことを言われることもなかったけど

 

ふと自分の心の奥底、深層心理で

自分が生きていていいのだろうか?

自分に生きる価値が本当にあるのだろうか?

自分は存在しない方がいいんじゃないか? とか

こういう思考が無限ループしてしまい

 

ダメだと分かっているはずなのに

自分以外にはそんなことしても仕方ないって励ませるのに

 

自分の精神が落ち込んだ時に

自分を上手く励ませない、励ます価値がないと思ってしまう。

 

気分が落ち着かず、ぼんやりとネットを見ながらついつい徹夜してしまい

ぼーっとした状態で仕事に行き、なんとなく家に帰る。

眠さが限界にくるまで待たないとずっと眠れなくなってしまう。

 

誰かこの感覚、苦しみを少しでも分かってくれる人がいないかな

オススメの本

 

学生の頃に読んで衝撃を受けた本を紹介します。

 

島崎藤村 破戒


超有名なので知っている方も多いと思います。

 

簡単なあらすじは


出自がエタであることを隠している主人公は
周りに怯えながら日々を生きていましたが
色んな人に出会い、影響され
自分の出自、運命と真摯に向き合っていくという話です。

 

授業でやったと思いますが
エタとは穢多非人の穢多で
産まれながらに差別される身分の事です。

 

インドのカースト制のように
どこの家に生まれるかで
その人の一生が決まってしまう。

 

日本にもそういう事があり
僕の周り、若い世代では詳しく知っている人は少ないけど
あるところは今でも色々結構あるみたいですね。

 

まぁ若い世代があまり知らなければ

このまま部落差別は勝手に滅びていく気もしますが

風化させたくない人たちもいるんでしょうね……

 

主人公がエタであることを隠して
周りに怯えながら生きていて
それでも、本当に大切な人には
その事実を告げた上で、それでも人として受け入れてもらいたい


そして、いつの日かこんな差別をなくしたい。
そういった気持ちの揺れ、葛藤があるのですが

 

エタの部分をきょうだい児であること、に変えて読むと
驚くほどすんなり自分のことのように感じられました。

 

きょうだい児であることを隠したことを恥じたり

変えられない運命だと自分を慰めたり
それでも大切な人には受け入れて欲しかったり

差別が無くなってほしいと心から願ったりして

心がブレまくる経験はありませんか?

このことに共感してくれる人なら

読んでみたら面白いと思います。

 


少しネタバレになってしまうのですが

 

僕がこの話で特に好きなのは
中盤〜終盤にかけて、主人公が差別と闘う決意をして
周りの人もそれを支えてくれたりして
希望が残される終わり方をするところです。

 

 

自分もブログを始めた事で
少しでも自分の運命と向き合う事

 

そして、きょうだい児の事を理解しようとしてくれている人
きょうだい児としての悩みを抱えている人達に

何かを感じてもらえたら嬉しいと思っています。

 

差別に立ち向かうなんて勇気はまだないけど

 

きょうだい児のことを知らない人が
きょうだい児特有の悩みとかを知ってもらえれば
少しずつ良い方に変わっていって

 

もう少し他人に優しくできる社会が来るといいなと思います。

 

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

 

ブログを始めてから

今年も残りわずかですね

ブログを始めたのが10月18日なので

まだまだ記事が少ないですが、これからも地味に更新していきますので

よろしくお願いします。

 

 

 

なんとなくブログを始めてみて

20代後半になって、なぜか今年ブログを始めてみました。

特に理由はないので、本当に何となくです。

 

ですが、今はやってみて良かったと思っています。

障害や福祉など、日本が抱える様々な社会問題を考えるきっかけにもなって

個人的に始めて、とても良かったと思っています。

 

 一番良かったと思ったことは

こうして記事を書く時に きょうだいや家族、親戚、友達など

自分の身の回りに居る人の事や自分の人生を客観的に考えることになるので

 

色んな人に支えられていると実感したり

人に感謝することが多くなりました。

 

もちろんこれは僕がきょうだい児にしては

恵まれた環境に居るからであって

 

本気で親やきょうだいを殺したいほど嫌いな人も沢山いると思います。

 

自分も昔はそういう考えが少しあったので

ある程度は気持ちが分かると思いますが

 

とにかく気が休まることがないので、疲れます

人を恨むことは非常にエネルギーを使う事なので

今は出来るだけそういった感情を持たないようにしています。

 

憎しみの感情を持っても

結局現実は何も変わらず、自分が疲れるだけだと

諦めに似た悟りのような境地に辿り着いてしまったのが

自分も歳を取ったなと思っています(笑)

 

思考をシンプルに出来てきているのも

ブログを始めた恩恵だと思っています。

 

リアルできょうだいの障害について話すことの難しさ

福祉や医療のことについて、対面して人と話す機会があったとしたら

障害者福祉についても話題に出ると思いますが

 

その時に、家族ではない漠然とした障害者の事であったら

きょうだい児の人は普通の人より鋭い意見を言えると思います。

 

しかし、どうしても自分のきょうだいの障害の事となると

周りが暗い顔になってしまったり、タブー視されてしまうので

ネットでしかきちんと本音を吐露できないと思います。

 

このハードルが死ぬほど高い壁に感じます。

僕でも現実できょうだいの障害について話したのは3人しかいないので

 

まぁ、聞かされた方も困るよなって考えてしまうので

ここら辺はもう少しポジティブになって考えてもいいのかなと思います。

 

人間の本質は簡単に変わらないのかも

年末という事で親戚が家に来ました

その親戚の人は障害に対しても理解がある優しい人なので

僕も好きな方だったんですが

 

その人と昔話をしていて

自分の物心がつく前の自分について教えてもらいました。

 

その人によると、僕は2~3歳の頃から控えめで恥ずかしがりや

仲良くなるのに時間かかるけど

好感度上がったらベタベタみたいな 要するにめんどくさい人だったそうで

 

これが、今の僕と何一つ変わっていない笑

 

まだ妹が生まれる前の話なので

これが自分の本質なんだと思います。

 

僕はてっきり、昔の自分は明るかったけど

思春期ごろに妹の障害が嫌で

暗くなって無口になっていると思っていましたが

 

そんなことはなく

ただ、自分の本質がそうだっただけで

 

障害の事でたしかに色々悩んで

嫌なこともあったけれど

 

それでも、人間の本質を根本から変えてしまうような

コペルニクス的転回に至るまでではなかった

 

きょうだいの障害ということは

良くも悪くも、人生にとても大きな影響を与えます

 

 ですが、影響を与えたとしても

本質を変えることはないと思います。

 

今の自分が理想の自分の姿じゃないから

言い訳として兄弟の障害を利用してしまっていた

自分が本当に愚かだと思います

 

 

だから、今きょうだいの障害で悩んでいる人も

きょうだいのせいで自分がダメな人間だとか

きょうだいさえいなければとか、考えてしまうかもしれませんが

 

あなたの本質は変わらないと思います。

本質は生まれつき固有のものであり、変えられないと思います

 

なので、自分の本質を昔から自分を知る人

出来れば、親以外の人の意見を聞いてみて

 

参考にしてみるといいと思います。

 

例えそれが暗いとか、怠け者とか

一般的に良いイメージがないものであったとしても

 

自分はもともとそういう人間なんだから

そんな感じでいいやと思って生きることが出来れば

すこしでも心の負担が減らせると思います。

 

まとめ

言いたいことが沢山あるのと

なるべく誤解を与えないようにと思うと

ついつい文章が長くなってしまうのが悪い癖ですね。

 

あと、出来れば何でもいいのでコメントしてくれると嬉しいです。

 

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フォローしてくれたらフォロバします。

 

来年も少しでも悩んでいるきょうだい児の方達と

自分の悩みが減らせるように、色々考えていこうと思います。

 

親戚が来るからすでに気分が落ち込んでいる人もいるのかな

そう思うとなんか結構複雑なんですが

一応、みなさんよいお年を

 

意識して自尊心を保つ

きょうだい児の人は自分に対して

否定的な気持ちを持っている人がほとんどだと思います。

 

育った複雑な環境がそうさせるのは

ある程度仕方ないことだと思いますが

 

成人して、家族や地元から離れて

初めて自由に生きられることになったのに

 

自分は生きていていいのだろうか?

自分には生きる価値がない とか

人生を楽しめないという感情に囚われてしまっては

生きる事が、ただの拷問になってしまいます。

 

解決策として僕が試しているのが

意識して自尊心を昔より高いレベルに保っておくことです。

 

高すぎてもナルシストや、周りを見下すようになってしまうので

あまりいい印象の無い自尊心という言葉ですが

 

僕を含め、きょうだい児の人たちは

自尊心が普通の人に比べて無さすぎる

あるいは否定的な気持ちしかない人が多いと思います。

 

だから、ある程度ナルシストになってもいいんじゃないかと思います。

自分に自信を持つこと、生きることに自信を持つことは

絶対悪いことではありません。

 

自分を褒めたりすることが苦手な人は

自分を否定することを辞める事から始めてみるのがお勧めです。

 

自分に対して否定的な気持ちが出てきそうになったら

意識して思考することをやめてしまうことです。

 

なんでもいいから、何か別の事を考えます

最初は中々切り替えられませんが、すぐに慣れます。

 

自尊心を普通の人と同じレベルに保つことは

きょうだい児の人たちは意識しないと出来ないと思うので

 

少しづつでいいから

考え方を変えてみることをオススメします。

 

自分に合わなかったらやめればいいだけですし

 

人に相談とかしない

 

昔から人に相談する事がありませんでした。

 

親には金銭的にだいぶ世話になっていますし
育ててくれた恩も感じていますが

 

本当に困ったり、悩んだりした時に
親を精神的に頼りにしたことは
多分一度もないと思います。

 

だからといって
精神的に嫌っている訳でもありません。

 

恐らく、僕を含めたきょうだい児は
小さい頃からずっと諦めの境地のようなものを感じていて

 

この世には、どうにもならない事がある
それは人に相談しても仕方ない
どんな大人に聞いても納得出来る答えが貰えない
答えがないことが答えであり、自分は悩み続ける運命なんだ

 

兄弟の障害の事について考えていると
こんな感じのことをよく考えます。

 

でも、だからといって

それでずっと悩んでいたりはしなくて

 

相談してもしょうがない

なら、しなくてよくね?っていう考えなので

 

悲しいとか辛いから相談しないんじゃなくて

単に面倒だし、意味がないと思うからしないだけ

 

だれかに依存したり、本心を晒すのが死ぬほど怖いのもあるけど

例え親でも兄弟相手(障害がない兄弟)でも



小さい頃からきょうだい児として生きてると
誰かに相談するとか、頼るという発想がなくなりませんか?


困ったら相談してね とか
悩んでるなら言ってね と友達とかに言われても

 

自分以外の人間に

本当に自分の悩みが分かるはずないのに
なんでそんなこと言うんだろう ? と思ってました。