きょうだい児の考える事

きょうだい児の色々を書いていきます。

客観的に自分を見られること

 

物凄く客観的に自分を見られること

たまにはポジティブな内容も書こう

 

きょうだい児の人は

自分を客観的に見ることが出来る人が多いと思う

 


自分や家族が、世間からどう見られているか
常に小さい時から考えてきたから

 

客観性を物凄く持てていると思う

良くも悪くも、それは自分の個性になると思う

 

個性があっても

自分でいい方向に生かそうとしなければ

自分の人生がプラスの方向に変わってはくれないので

 

最近は意識して

これも自分のいい個性だ と思い込むようにしています。

 

他人の感情に敏感で
相手が何を考えているか、何を求めているかを
すぐに察知できてしまう

 

だからこそ、空気が読めすぎるような

空気を読み過ぎたり他人の感情が見えすぎて

疲れるようなことがありませんか?

 

人に優しいと言われることも多いんじゃないかな

 

仲がいいはずの友達や知り合いと居ても

無意識に気を使ってしまうので

家に帰ると、とても疲れていたり

 

結局一人で家に居るときが一番安心できて

精神を落ち着けることが出来たり

それでもたまには友達に会いたくなったり(笑)

 

他人の感情が全く読めていない知り合いにイラついたり

平気で人を傷つける発言に引いてしまったりもありますが

 

そういう人達とは自然と関わらなくなっていくので

最近は基本的には穏やかに生きて行けてます。

 

今までの生き方だと

客観的に見えすぎてしまうから

他人の目を気にしすぎてしまい

 

常にビクビクしながら生きているようで

今思うと本当に辛かったし

なんであんなに怯えてたんだろう

 

そんなに気にしなくても

誰も自分の事なんてそんなに見てないって

頭では知ってても、完全に理解することが難しかった

 

人からの評価を気にしすぎたり

虚勢を張っても、自分は全部見ているから

結局後で虚しくなるぐらいなら

 

少しづつ、気を張らないで生きていけるように

考え方をポジティブ寄りに持っていくことが

長いようで近道になると思います。

 

あんまり明るい内容に見えないかもしれませんが

これでも結構人生がいい方向に向かうように

僕なりに考えた結果なので

許してください

 

 

 

家だとキレやすくなる

 

外に居るときは絶対に声を荒らげたり

他人の注目を集めるような事はしないけど

 

家に居るときは大分怒りっぽく

どうでもいいことでよくキレそうになる

キレることもある

 

外に居るときは静かで目立たないようにしているのは

 

昔障害者の家族と一緒に外出して

泣き出したり、騒ぎ出したりした時に

周りから冷めたような、蔑んだような哀れんだ目で見られた事への

トラウマなんだと思う。

 

家族と外出する時は、基本的にずっと気を張っていて

周りが家族を障害者だと気付かないかどうかだけが

ずっと心配だった

 

一刻も早く家に帰りたかった

 

この世に生きているのがうちの家族だけなら

気を張らずに生きていけるのにと思ってた

 

外で神経を使っている反動なのか

家だと感情的になりやすいと思う

 

物にあたってキレることも多かったし

家族にキレることも多かった

今はどっちも減ってはきたけど

 

それでもたまにキレてしまう

自分で感情を上手くコントロール出来ない

 

周りの人は家で感情的になっている僕の事なんか

想像も出来ないんだろうな

 

外面が良いというか

絶対的な心の壁があるというか

 

その心の壁をぶっ壊してくれる人が

現れないかと期待してるのに、深く関わろうとしない矛盾

直そうといけないと薄々感じているのに

 

買ってない宝くじの一等が当たることを期待しているような

 

生きることがコンプレックス

 

普通に生きている人なら
誰でも色々なコンプレックスがあると思う

 

顔、体格とかの目に見えること
性格、学歴とかの目に見えないこと

 

他人からすれば、どうでもいいことでも
悩んでる本人からしたら
毎日が苦しい大変な問題

 


僕はきょうだい児として生きてきて
障害とは関係の無いことでも
色々コンプレックスを感じてきたけれど

 

やっぱり1番のコンプレックスは
自分の遺伝子であり、自分の存在そのもの

 

きょうだい児じゃない人は

自分には何が出来ない、何が出来る
みたいに、他人と比べてみて

 

コンプレックスを感じたり、自尊心を獲得したりして
人格が形成されていくものなんだと思う。


だけど、僕のようなきょうだい児の人達は
何が出来ない、何が出来るという問題以前に

 

遺伝子がダメという前提がある
だから何が出来ようが出来まいが、その前提がある時点で
他人と比べるレベルにない

 


見た目、学歴、収入、趣味特技などで
自分の方が例え優れていたとしても


家族がみんな健常者の人なら
それだけで僕はコンプレックスを感じてしまう。

 

家族に障害者がいて
生きていることそのものがコンプレックス

 

今はこういう考えになることは減ったけど
思春期の時はずっとこういう考えだった

 

たまにこういう考えが今でも襲ってくるから

そのたびに自分と闘わないといけない

 

心の中で自分を否定したり、肯定したりを繰り返すのは

非常にエネルギーが必要で 疲れ果ててしまう

ずっと穏やかな気持ちでいられたら

どんなに幸せなんだろう

 

怒った後の自己嫌悪

 

障害や病気を持つ人と接していて

怒ったりイライラすることがあっても

それを表に出さないのが大人であり

 

大人の暗黙の了解というか

社会的弱者に対して怒った方が悪い

人間失格のような風潮があります

 

障害者や認知症の人を介護する人が

利用者が暴れて、どうしようもなくなっても

絶対反撃してはいなけいように

 

 

反撃しろとは言いませんが

現実的に、利用者が定期的に暴れた場合

どうすればいいのだろう

 

想像しただけでストレスがたまりそう……

難しい介護福祉系の職場で働いている人は本当に凄いと思う。

 

僕だったら即殴り返してしまうと思う。

 

 

ただ、いくら障害者相手といっても

殴ったり怒ったりしたら、そのあとで

とてつもない自己嫌悪に襲われます。

 

きょうだい児に自分を肯定できない人が多いのも

こういった日常の自己嫌悪の積み重ねなのではないでしょうか

 

きょうだいや両親に悪い所はないと分かっていても

どうしてもイライラしてしまうし、八つ当たりしてしまう

そのたびに後で自分のことを責めてしまう

 

怒りや悩みをぶつける先がないから

結局最後は自己嫌悪に落ち着いてしまって

自分の心のケアをするという発想が持てない

 

常に何かに抑圧されているような気分で

その状態が自然すぎて

生きているだけで何か悪いことをしているような感覚

 

怒らないことが一番なんですけど

それも本当に難しい

 

 

障害者のきょうだいは孤独を感じる

 

人が多いのではないでしょうか?

僕もずっとそうでしたし、今でもふと感じます。

 

学生時代は兄弟が健常者の人に憧れを抱いたり

兄弟がいない人も羨ましいなと思ったり

とにかく、友達なら大体羨ましいと思ってました。

 

自分と同じような障害者のきょうだい児が

同じ学校の同じ学年にいる事なんて

普通はないことでしょうし、あってもお互い打ち明けにくいので

結局、自分と同じような事で悩んでいる人を見つけられずに

一人きりの孤独感、劣等感にとらわれてしまうと思います。

 

誰にも分かってもらえない

誰に言ってもバカにされる

きょうだいが障害者なのは恥ずかしくて、笑われること

どうにかしたいけど、誰にも怒りをぶつけられない

 

 

きょうだい児の方なら

こんな風に思って学生時代を生きてきた僕の気持ちを

 

少しでも、自分もこんな感じだったと

共感して分かってくれるでしょうか

 

 

孤独感と劣等感は、常に自分につきまとい

自分を否定して 自尊心をひどく傷つけてしまいます。

 

無くすことは難しいので

これからも上手く付き合っていかないといけません

 

ブログやTwitterなどできょうだい児の方の悩みを見たりして

自分と似たような悩みを持っている人もいましたが

 

やはり孤独を感じている人がとても多いのだと感じました。

現実が充実していれば、そもそもTwitterできょうだいのことについてなんか

つぶやかないのかもしれませんが

 

同じような悩みの人がいるとわかるだけで

少しでも楽になると思います。