きょうだい児の考える事

きょうだい児の色々を書いていきます。

凹んだ時に支えてくれる人はやっぱり欲しい

僕はおそらく結婚はしないと思うし、恋愛も傷つくのが嫌で

よっぽど理想の相手が現れない限りしない思っているけれど

 

それでも、凹んだ時に支えてくれる存在はやっぱり欲しいな、と思う

 

家族や友達には辛いということも出来ない

辛いんでしょ?と言われても気まずくなるだけだからこっちが困る

 

メンタルが文字通り死ぬほど落ち込んでしまう時に

それを癒してくれる存在が欲しい

 

今まで約25年生きてきて、そんな存在は一人も現れなかった。

 

自分にとって、きょうだい児の悩み苦しみを癒してくれる存在は

きっとどこかにいるけど、今ここにはいない という存在だった。

 

その存在が世界のどこかにいると思い込むことで

なんとか辛い日も仕方なく生きてきたと思う。

 

架空の存在に救いを求めているという点では

キリスト教とかの一神教の信者と大差ないと思う。

 

 

僕は求める理想が以上に高いと言われる

それは恋人だけじゃなくて、自分に対してもそうで

 

もっと見た目がよくなりたい

もっと頭が良くなりたい とずっと思ってる。

 

でも、自分に対する理想が高すぎるせいで

頻繁に絶望するし死にたくもなる

 

だけど、それでも理想を下げることが出来ない

自分が苦しむだけだと分かっていても

 

理想を少しでも下げれば、周りに馬鹿にされるんじゃないかとビクビクしている

 

多分この感情の根源は、小さい頃に自分がきょうだい児であると自覚して

自分は普通の人よりもちゃんとしていないといけない

きょうだいのためにも自分がしっかりしないといけないって強迫観念のように思い続けていたからだと思う。

 

だから理想を下げるよりも、自分が傷つく方を悩まずに選択できる

 

基本的に自分を最優先で守ろうと言う発想がない

 

自分にそんな価値はないと思うし

自分が死んでも何も変わらない、ただ葬儀などの面倒が増えるだけ という認識

 

でも、心のどこかでは自分を理解してほしいし

自分を本当に愛してくれて、今までの全ての傷や痛みを癒してくれる存在がやっぱり欲しい

自分が生きていていいと思わせてほしい

自分の大切な人に自分が必要だと思われたい

生きていてくれるだけで幸せとか言われたい

 

これが逃げ、現実逃避だと分かっているけど

やっぱりそんな理想の救世主のような人が居てくれれば

生きるのが辛くはなくなると思う。

 

楽しくなくても辛くなければ、わりと生きていけると思う。

 

本当に理想の存在が居てくれれば

抱きしめられるだけで疲れが癒されたり、悩みが浄化されていくような気持ちになれるのかなぁ

 

もういっそのこと、宗教に頼った方が楽なんじゃないかとも思うけれど

 

ひねくれているから宗教というだけでちょっと敬遠してしまう

もちろん、宗教を信じることは個人の自由だからいいんだけど

 

基本的に生き方が斜に構えているので

盲目的に何かを信じるという事が出来ない

 

だからどっかの信者になっても教えを疑いまくってしまうから

どっちみち僕は絶対救われないと思う(笑)